皆さん、こんにちは。やすらぎクリニック院長の千々岩です。

読者の皆さんにも、漢方薬は「マズイ」「苦い」「臭い」の3重苦のイメージを持っている人が少なくないかもしれません(;^_^A。

しかし、漢方薬には甘いもの、美味しいもの、香りがよいものも数多く存在します。

特に棗(なつめ)、小麦、甘草から構成された甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)はお菓子みたいな味ですし、茯苓、甘草、桂皮、朮からなる苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)は、スッキリ味の甘いシナモンティーみたいな味がします(あくまでも院長の独断と偏見です)。

そして虚弱体質や腹痛の改善作用がある、小建中湯(しょうけんちゅうとう)には、膠飴(こうい)、すなわち水飴が含まれており、子供の患者さんでも喜んで飲んでくれることが多いです。

そして、「漢方薬は絶対に飲みたくない!」と言っている患者さんでも、美味しく飲んでくれる確率が高い漢方薬が、今回ご紹介する香蘇散(こうそさん)です。

香蘇散は、香附子(こうぶし)、蘇葉(そよう)、陳皮(ちんぴ)、生姜、甘草の5味からなる漢方薬で、このうち香附子と蘇葉の頭文字をとって命名されています。

香蘇散の適応病名は胃腸虚弱な人の風邪の初期、不安、不眠、抑うつ傾向などとなっていますが、大事なことは「気うつ」という東洋医学的病態に用いられる処方であるということです。

ちなみに「気うつ」とは、我々の体内に存在する、「目に見えないけれど、実在するエネルギー」=「気」の循環に停滞をきたした状態であり、気が停滞した身体の場所によって、咽の詰まり感やお腹の張り、抑うつ傾向といった症状を呈してきます。

この気うつという病態に対して、香蘇散を上手に利用した戦国武将が、かの有名な加藤清正です。

加藤清正は、豊臣秀吉の小姓からキャリアをスタートさせましたが、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いで手柄をあげ、更には政治手腕や築城技術にも優れていたことから、肥後北半分19万5千石の大大名まで出世を果たし、1591年には熊本城を完成させています。

しかし、そんな清正も幾多の運命に翻弄されます…。

豊臣政権における実力者という立場上、無謀な朝鮮出兵に参加せざるを得なかったわけですが、そこで最初の渡海時(文禄の役)、同僚の小西行長の讒言を受けて、秀吉の怒りを買ってしまい、一時は京都にて謹慎処分を受ける羽目に陥ります。

その後何とか秀吉の勘気も解け、二回目の渡海(慶長の役)に臨むわけですが、今度は突貫工事で築いた蔚山城(うるさんじょう)に明・朝鮮連合軍が迫ります。約57000人の大軍に幾重にも包囲され、季節は極寒の12月…。

兵糧も心もとなく、水源も絶たれ、飢えと渇き、寒さに疲弊した兵士たちはバタバタ倒れていき、生き残った兵士たちも今でいう戦争神経症の状態に陥ったと言われています…。

そんな時に、兵士たちに振舞われたのが香蘇散でした。加えて、加藤清正の卓越した統率力によってメンタルケアをおこなわれた兵士たちは、黒田長政らの援軍到着まで何とか耐え抜き、その後の追撃にて討ち取った敵軍の数は3~4千人とも言われています。

幕末の名医、浅田宗伯が記した「勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)」の香蘇散の項にはこのように記されています。

「此の方は気剤の中にても揮発の功あり。(中略)その昔、征韓の役にて、清正の医師の此の方にて兵卒を療せしも気鬱を揮発せんが故なり。」

香蘇散の中に含まれる香附子、蘇葉、陳皮には精油成分がそれぞれ含まれており、芳香性が嗅神経を刺激して、抗うつ作用や抗アレルギー作用の一部を発揮しているとも言われています。すなわち香蘇散はアロマテラピーに極めて近い位置づけの漢方薬とも言えるでしょう。

後編ではこれら香蘇散に含まれる生薬と、精油成分に関して解説してみます。